ぼちぼち回復日誌

元夫がギャンブル依存症。共依存やAC等の回復日誌。嫌なことバンバン手放し中。

私の自助通い1/2

前回の記事で自助を他者に勧めることの難しさを書いたので、お次は匿名性に配慮しつつ、自助の思い出や良さ、楽しさでも書こうかなーと思います。

長くなったので分割します。

 

私の通ってるグループは2つですが、両者ともメンバーの雰囲気や年齢層、空気は違えど温かくて楽しいのが共通しています。

(こんなノリですがMTの最中は神妙に、厳かに臨んでますよ、一応……汗)

笑いあり、涙ありで、悩みや不安の吐露にはみんな親身になってくれます。手の差し伸べ方は様々で、静かにそっと寄り添ってくれる人。笑い飛ばして「大丈夫よ」と言ってくれる人。共感して1人じゃないよと教えてくれる人etc十人十色で助けてくれます。

 

通い始めたばかりのころはいい人たちばかりなのに加えて、ずっと一人で抱えてきたことを吐き出せてスッキリ!けどしばらくしてからは苦しみが到来。

理由は自助通いの負担以上に自分の今後の展望が全く見えなかったから。

家族あるあるの、繋がってからしばらくたって、当事者とどう接していくかで四苦八苦するパターンに突入です。

私も口では立派なことを言いつつも、できないことうまくいかないことの連続。やっちゃいけないことをやっちゃったのに「せっかく自助に通ったのに!何で!」って逆ギレに近いことを思って、自分で自分の首を締めてましたね。

元夫は当事者の自助にも病院にも自主的に行ってくれない。(主語が他者になってる)勢いで別居したものの、仲間から手を離しましょうと言われても、毎日毎日元夫の動向が気になって気になってしょうがなかった。(気になるのはしょうがないと無力を認められない)当事者の自助に連れ出せたことに一喜し、病院に行かなかったことに一憂と完全に自ら振り回されてる有様でした。ここにはとても書けないような痛くて恥ずかしい言動もたくさんしましたしね、HOHOHO。ちょうど病み期MAXのころで先取り不安を拗らせていたのと重なって、毎日不安で不安で鬱々としてました。

 

けど痛い過去を持ってること、たくさん失敗したのが結果的によかったかなと今なら少しは思えます。失敗は成功の基という言葉が御年30も半ばに差し掛かるころに叩き込まれましたから。

転んでも立ち上がれば及第点だなと、失敗アレルギーがだいぶマシになりました。(なるべく失敗せずに正解を最短距離で走りたいという願望は消えませんけどw)

消し去りたい過去もたくさんあるけれど、それは病気や依存症関係なくみんなが抱いてる欲だろうし、そういう自分を受け入れたり、赦してあげるっていうのを学べました。

過去は変えられない。けど過去の捉え方や過去に見出す意味は変えられました。

これからも変えていけると思います。これが本当に自分史の中で得られた大きな収穫!知り合えた人たちもですが、お金と違いギャンブラーが掠め取ったり換金できない私にとっての財産です。

 

通い始めた数か月は週1のペースで通っていました。行けるときには週2とか(今はだいぶペース落としてます)家族向けだけでなく、当事者のグループや感情系のグループにもお邪魔してました。改めて考えると「よく通ったわ~」と自分でも思います。けど通ってる人はほぼ毎日なので、私なんて少ないほうなんですけどね。MTに多く通ったから偉いとか凄いって世界じゃないですけど、MTを生活の中心に据えて、通うことや歩くことの大変さは私も少しは理解しています。

 

前にもお話した通り、私の住んでいる場所には家族のグループはありません。最寄りは電車やバスを乗り換えて1時間半くらい。もう1つの場所は、高速バスを使って2時間くらい。仕事で行けない日もあるし、往復の交通費だってバカにならない。夜の部だと帰宅するころには深夜を回ってる。当時は精神安定剤2種に加え睡眠薬も服用していたせいか人混みがキツかったので、大きい駅に行ったり電車などの乗り物がとにかくしんどかったです。だから移動するだけでも一苦労。

けど通いましたわ。自分に必要だと思ったので。

ある意味MTに依存していたと言えるかもしれない。けどギャンブルや自分以外の誰かをコントロールすることに躍起になるよりは断然健全だったと断言できます。

 

もうちょっと近くの他の嗜癖の家族会(オープンMT)とかに事情話して通ってたらお財布がもうちょっと潤ってたかな?とゲンキンなことを思わなくもないですが、これもひとつの縁、自己投資だねと、寂しくなったお財布と自分を慰めてます。

<続く> 

 

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