私の底つき
やめたい。やめなければいけない。もう自分の意志ややりかたじゃ、どうしようもならない!
嗜癖に走る人間がそう決意するに至るきっかけや体験があります。
『底つき』と呼ばれております。
お酒にもあるし、ギャンブルにも薬物にも、他のアディクションにもあります。
ギャンブラーの家族であった私も底つき体験をしておりますので、今日はそのことを
書きたいと思います。
自助グループに繋がって数か月。私はMTに参加し続けていたものの、元夫から手が離せないでいました。
家を飛び出したものの罪悪感に苛まれ、せっせと食料を運んだり、MTに出たことをこれみよがしにメールしたり等々。ギャンブルでいうところの立派なスリップに当たる行為を繰り返していました。
それなのにMTではあらかじめ書籍で取り寄せていた依存症関連の本に書いてあった
〝ギャマノンは家族が元気になる場所〟というワードを『知識として知っていた』
ので、分かち合いではそりゃーきれいごとばかりを述べておりました。
「ここへは自分のために来ています」「早く元気になりたいです」と。
多分何人かのメンバーさんからは見抜かれていたんじゃないかな?
それでも何も言わず温かく見守って下さった皆さんには本当に頭が下がります。
相談していた友人からは逆に叱咤されました。
彼女たちはギャマノンはじめ自助グループのことは知らなかったのですが
「ほら、ここに手を離しなさいって書いてあるじゃない!ダラダラと連絡とるのよくないよ!病院や自助に行ったら連絡くれ、それまでは連絡するなって突き放しなよ!」
と檄を飛ばしてくれました。
それでも「でもでもだって……」がやまない私。そんな自分に付き合ってくれ、自分のことのように憤り寄り添ってくれた彼女たちには感謝してもしきれません。
そんなグダグダとした別居生活の中で、ある日元夫からメールが届きました。
「病院に行こうと思うのでお金を貸してほしい」と。
この病気をご存知なら常識と言っても過言ではないですがギャンブラーは
嘘をついて家族からお金を引き出そうとします。俗に言う家庭内オレオレ詐欺を働きます。
当然私も手口は熟知していました。
けど私は嬉しくなって飛びついたんです。郵便局から3000円ほどお金を送金しました。
結果はどうなったかというと元夫は病院には行きませんでした。理由は「お金が
足りなかったら恥ずかしいと思った」と。結果的にお金は戻ってきたのですが
私はがっかりしたと同時に足底が冷えるような感覚に襲われました。
元夫への怒りや呆れもあったのですが「あ、これ……私が手を離さなかった結果が返ってきただけなんだ」と、ストンと自分の中に落ちたんです。
これが私の底つきです。
言い訳したりカッコつけるつもりはないのですが、私にとってはこの失敗が本当によかったのです。いいこぶりっこの優等生の鼻をへし折られ、自分の不正直さを暴かれたことで、書籍に書いてあった言葉の意味、ギャマノンの人たちや友人からの言葉が体験を伴って身体に落ちました。
それから元夫に手紙を書きました。
<私が手を離せずにいたせいです。病院に行ったら連絡を下さい。それまでこちらからは連絡しません>としたためました。自宅へ戻って机に置いてくることもできたのですが、事務処理的に切手を貼ってポストに投函しました。
元夫からは数日後、連絡がきました。謝罪もそこそこにメールには<出張費を貸してほしい>と記されていました。もう心は動きませんでした。私は要求を突っぱね、数日後、元夫は別の記事で書いた通り会社をクビになりました。
私が無力だったのはギャンブラーの元夫に対してだけじゃなかったです。
元夫をどうにかしなければという自分の欲求に対して無力だったんです。
自分のことすら思い通りにならないのに、誰かを思い通りにしようと画策し、延々と洗濯機の中を回り、時には逆流しようとしてもがいてもがいて消耗していきました。
ようやくステップ1が骨身に染みた瞬間でした。
私は失敗するのが嫌いです。失敗=落第者と結びつけ「失敗は恥ずかしい」「失敗は駄目だ」という考えで生きてきました。
なるべく失敗せず(=恥をかかず)最短ルートで正解の道を早く歩きたいと、ずっと考えていました。だから余計失敗に対し怯え、否定に対し憤りを感じ、それを心に押し留める生き方をしてきました。
今でも失敗は怖いです。人からの注意に対し過敏に反応し「失敗してしまった……」と自分を責めたり相手を恨んだりします。
(恐らくACによくみられる傾向だと思います)
けど今は少しずつ、失敗に対しての耐性ができてきているのを実感しています。
失敗したから自分は駄目なんじゃない。注意されたのは行動に対してであって私自身じゃない。言葉にすると簡単だし、まだまだ身に付いたとは言えない格言ですが少しずつ少しずつ、自分の中に入れていきたいことのひとつです。