ぼちぼち回復日誌

元夫がギャンブル依存症。共依存やAC等の回復日誌。嫌なことバンバン手放し中。

うまく引けない境界線を引けるようになりたい

私は人付き合いはさほど苦痛には感じません。

依存症問題がきっかけで、知らない人だらけの自助グループに繋がりったり

SNSで知り合った人とお茶したり等は難なくこなせます。自分でいうのもアレですが行動力は無駄にある方かなと。

 

これだけ見ると人間関係に問題を抱えやすいACや共依存の気は一見ないようにも思えますが、特定の条件が揃ったとき自分の中の境界線が歪みます。その一部が下記です。

 

(1)怒っている相手:特に相手が男性と気の強い女性に対してだと強く反応します。自分に対して向けられた怒りでなくとも感情が引き寄せられるように巻き込まれます。機嫌を取らなければならないという変な使命感。自分が何か気に障ることをしたんじゃないかという不安。顔色を窺い、これ以上悪化させてはならないという強迫観念。

 

(2)言い争いや諍い:これはどんな相手でもその場にいると思わず身がすくみ硬直してしまいます。特に男性の怒鳴り声を聞くと目の前が真っ白になるくらい硬直するし、女性のヒステリックな声に対しては耳をふさぎたくなります。

その場で休戦し、その後各々から愚痴を聞かされるのも胃液が逆流するくらい気持ち悪くて苦痛です。仮に自分は愚痴に付き合わされなかったとしても「巻き込まれたらどうしよう」と不安の先取りをしてしまう癖が取れません。愚痴を言ってくる姿を想像して勝手に心を痛めたりが止まないのです。

 

この(1)と(2)の正体。まんまうちの両親の姿なんです。

 

うちは母方の祖父母と同居でした。祖母が健在のころはまだマシだったのですが

鬼籍に入ってからは、祖父と父、父と母の仲がとても悪かったです。

(原因は色々あるのですが今は割愛します)

言い争いと喧嘩の絶えない家で、家庭がちっとも安心できる場所じゃなかった。私はそんな家庭の長子の長女として産まれました。時に彼らの間に入り、宥め、愚痴を聞かされました。機嫌の良し悪しでシカトされたこともありますし、ちょっとした言葉の足らなさを親戚に軽く注意された際に「(自分に)恥をかかせて!」と物凄く罵倒されたこともあります。

 

母方の祖父はアルコール依存でした。真っ先に思い出す姿と言えば夕方から酔っぱらった千鳥足で子どもの私たちに「酒の場所知らないかぁ?」と呂律の回ってない口調で尋ねくる姿。餅つきしたり楽しい思い出もそれなりにあるのですが、酒が切れると喚き散らす醜態ばかりが回想に浮かんできます。

若いころは競艇に給料全額ぶっこんでいたこともあったそうな……。(はぁ、ここでも競艇か……)そんな祖父を甲斐甲斐しくせっせと支え続けたのが祖母です。

母は一人っ子で当時は私立女子大も卒業していたので金銭的には裕福だったのでしょうが、間違いなく機能不全家族の中で育っています。一回り年の離れた父親と出会い、両親(祖父母)に猛反対される中駆け落ち当然で一緒になり、私が産まれたことで(表面上は)和解、一人娘のため、父が婿養子になり同居したと聞いています。

 

一方の父親も機能不全家庭の出身です。

父は男4人兄弟の長男として産まれ、終戦後の貧しい子供時代を送っています。一時は親戚の家に預けられ肩身の狭い思いも経験をしていたようです。私にとっては優しいおじいちゃんだった父方の祖父も、父たちには恐ろしくとても厳しかったようです。詳しい事情は知りませんが、母親(私にとっての祖母)とも別々に暮らしていたそうです。

 

改めて読み返すとお手本のように完全に世代伝播していますね。

実は私がACを自覚したのは今よりうんと若い頃です。元夫と出会う前ですね。自覚したてのころは親への恨みや怒りに溢れていたけど、紆余曲折を経て今は親も親(私にとっての祖父母たち)から受け継いだんだなぁと思えるくらいにはなりました。今一緒に住んでいて彼らの衰えを感じているのもあるし、まだまだACの気質が抜け切らないところもあるんだと思います。けど一番大きいのは自助グループに繋がり、自分の人間関係や考え方の歪みは生育歴からきているんだと本当に自覚できたのが大きかったです。

 

両親は相変わらず仲は悪いです。けど以前のように私が仲を取り持つ必要もないし、巻き込まれないように少しずつ距離を取れるようにはなってきています。

 

無視や罵倒。面前dvなど、された仕打ちはきっと忘れられないです。けどいつまでも恨みに囚われていたくもないんです。自分の人生を生き直したい。そう決心してACの自助グループの門を叩きました。これからは自分で自分を育てていきます、仲間と一緒にね。

 

 

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