ぼちぼち回復日誌

元夫がギャンブル依存症。共依存やAC等の回復日誌。嫌なことバンバン手放し中。

可哀想スイッチ発動

私が手離していきたいもののひとつに、可哀想スイッチの発動があります。

私が勝手に命名したのですが「困ってる人、弱音を吐露している人に必要以上に肩入れや同情し、励ましや力になれないか過剰に動こうとする」

簡単に言うと共依存の症状のひとつです。

一口に共依存と言っても人それぞれ色んなケースがあると思います。

長年連れ添ったパートナーや家族にだけ発動する人。身近な人。酷くなると関わり合いになった人全てに発動する、イエスキリストやお釈迦様ごっこのようなパターンもあるでしょう。

私の場合は身近な人に対して、相手を想像の上で可哀想な人に仕立て上げ心を痛め、求められていないにも関わらず世話焼きモードを発動させちゃうところかな?

そしてそれは善意からなるものではなく「現実逃避」「自己満足」「承認欲求を満たす」といった自分のためからなるものだと自覚しています。

元夫のために奔走するのは苦しくもあったけど、どこか充実も感じていました。相手のためという錦の御旗のもとに駆けずり回る間は、自分の問題に向き合わずにすみましたからね。

 

けどこれはあくまで私個人の話です。

個人的見解ですが、私はギャンブル依存症の家族や恋人、友人全てが共依存であったり、必ず陥る病だと思っていません。

家族・パートナー・友人それぞれの関係性や個人によって思考・行動パターンは様々だと思います。

家族で何とかしようと試みてきたことや、試すことを共依存で括り、病気だと認定するのは早計かなと。

そもそも私が冒頭に述べた「困っている人を助けたい」「励ましたい」というのは多くの方が持っている感情です。家族や友人であればなおのことその想いが強くなるのも納得です。(※機能不全に陥ってる人たちは除きます)

後はお国柄や価値観として「家族は助け合わねばならない」「困っている友には手を差し伸べなければならない」といった考えも影響していると感じています。

 

ただ共依存というのは感情が暴走したりこじれた結果、誤った手助けに固執して繰り返したり、自分を顧みず自己犠牲を厭わなかったり(例えるなら溺れている人を助けたい一心で、自ら水に飛び込む行為)相手を助けたいという大義名分の下に「自己満足」「承認欲求」などといった下心が隠れている場合を指す――そう思っています。

 

かく言う私も、自分が元夫に対して行ってきたこと「全て」が共依存ゆえの言動で間違っていたとは思いません。ただ依存症という問題と向き合ったことで、それが色濃く表れ、自分にその気が強いということに気づかされました。

 

離婚したから、もうオッケーかというとそんなこともありません。

GAやツイッター等でギャンブラーさんはじめ、その他の嗜癖で悩んでいる方の後悔や懺悔を目の当たりにするとこのスイッチが発動しそうになることが多々あります。

我慢できずお節介モードを発動させたこともあり反省しております……。

 

元夫と離れたから大丈夫じゃない。ひとりになったからこそ、この癖と向き合っていくつもりです。

そのためにどういうときにスイッチが作動するか、作動回数を減らすためにできることはどうすればいいかを

これからもツイッター自助グループなどで学んでいけたらなと思っています。

 

 

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